オリジナルとクオリティ

Life is beautiful: 「ビットの集まりを売る時代」の次に来るものより

 私はこれを「簡単にオリジナルと同じクオリティの複製が作れてしまうデジタルコンテンツの時代に、単なるビットの集まりに対価を払わせるのはどんどん難しくなっている。それよりも、単なるビットの集まりには変換しようのない『ライブコンサート』や『ファンとの繋がり』などでファンを感動させることが出来て初めて対価をもらえる時代になりつつあるのではないか。」というコンテンツ業界全体に対する警告として受け止めた。

#snip

デジタルコンテンツを違法コピーしても、オリジナルが消えてしまうわけでもないし、

#snip

ライブコンサートで観客を酔わせることの出来ないミュージシャン、オンラインゲームの作れないゲーム会社、ウェブサービスを提供できないソフトウェア会社は食っていけない時代が来つつあるのかも知れない。

ピカソミケランジェロ、他にもたくさん偉大な人がいるが、彼らの作品を見たときに私たちは「なにかが違う」と感じてしまうことがあるらしい。


それは、「質感(クオリア)である」ということを最近聞いた。


単なるビットの集まりというのも、簡単に複製できるものではあるが、「刺激」を失ってしまったら飽きられてしまうものだ。


モノをつくりモノを求めてモノを複製できる手段を手に入れた。
しかしそのモノに質感はない。
プロセスなくしてのモノに価値がなくなる時がすくなからず近づいている。


もうちょっと、あとちょっとでなにかアナログとデジタルをつなげる何かがわかりそうな今日この頃。